September 25, 2004

サイードの刻印




サイードが亡くなって、もう一年が経ちました。今ごろはパリ大学で一周年の行事をやっているはず。

本人の語りはもう聞くことができませんが、さまざまな人たちの行動や発言や作品のなかにサイードの言葉のエッセンスが底辺に流れているのを察知できる機会が少なくないということに、亡くなった後になって気がつきました。それは単なる一連の語彙や思考のスタイルという表層的なものではなく、ものの見方が決定的に変ってしまったというような根源的な影響です。さまざまな分野でその刻印を感じさせるものに出会うたびに、そこに故人の存在を感じるので、ほんとうに死んでしまったようには感じられません。死者がほんとうに死ぬのは、それを記憶する人たちもいなくなり、完全に忘れ去られたときであるとすれば、サイードがほんとうに死ぬことはないのかも。

昨年、サイードが亡くなった直後に書かれたナイジェル・パリーの追悼文を、山田和子さんが訳してくださいました。一年を経て今これを読むと、当初は喪失感に圧倒されて見えにくかった建設的な希望のサインがずっとはっきり読み取れる気がします。

自分たちの言葉で語る──エドワード・サイードとパレスチナとインターネット

0 Comments:

Post a Comment

<< Home