Notice Board

January 26, 2005

「私はパレスチナ人クリスチャン」

昨年秋にオリーヴの紙漉きワークショップをやったベツレヘム国際センターの館長は、ルーテル教会のミトリ・ラヘブ牧師です。ベツレヘムに生まれたパレスチナ人でドイツで神学を学んだラヘブ牧師はドイツ語の著書も多く、英訳されたものがあったので買ってきました。この本は簡潔にまとまっていて読みやすく、ちょうど日本語でも出版されたところなので、紹介しておきます。

阿倍野教会の村山盛忠牧師は、「アラブ・パレスチナの文脈を踏まえて、真正面からキリスト教の課題と聖書解釈をとりあげた神学的発言の書」としてこの本を推奨しています。

翻訳者の山森みかさんは、かならずしも著者と同じ立場ではないらしいので、あとがきでどのように論じておられるのか興味がありますが、いまのところ和書は入手できていません。でもとりあえず、お勧めです。

私はパレスチナ人クリスチャン」 ミトリ・ラヘブ著 山森みか訳 日本キリスト教団出版局

Mitri Raheb, I AM A PALESTINIAN CHRISTIAN, translated by Ruth C. L. Gristch © 1995 Augsburg



第一部は聖地におけるアラブ人クリスチャンの歴史や、聖地を守り、聖地に守られる関係にあったパレスチナのクリスチャン・コミュニティが、この100年のあいだに着実に縮小し、消滅さえ危ぶまれるようになっている現状を手際よくまとめています。

アラブ人クリスチャンはキリスト教の歴史の中でも最も古いグループで、イスラム教が成立するずっと以前からパレスチナにコミュニティを築いていました。パレスチナには古来さまざまな宗派が共存しており、東方教会、ローマ教会、プロテスタント諸派などを次々と受け入れてきました。従ってエキュメニスムの伝統が強く、パレスチナ人クリスチャンには、キリスト教の諸派のみならず、イスラムもユダヤ教も包含した共生を視野に入れることに少しも無理がない。

ラヘブによれば、アラブ人クリスチャンの特徴は常にマイノリティーであったということです。これは西洋のキリスト教会が権力と結びつき、支配者の側に立つようになったことと大きな対照をなしています。オスマン時代にはイスラム帝国の中の二級市民として扱われてきた周辺的存在であったことから、ヨーロッパの影響が強まり改革の必要が痛感されるなかで、アラブ人クリスチャンたちは近代化を推進する文化的エリートの役割を担うようになります。国家と宗教を分離し、クリスチャンもムスリムも他の宗派も、市民として同等の権利を持つ、世俗主義のアラブ国家を作ることが彼らの目標でした。このような世俗主義ナショナリズムがPLO(とりわけクリスチャンが多かったPFLPやDFLP)の主張に反映されていたようです。

しかし解放運動はいつまでたっても実を結ばず、その挫折感からパレスチナ人のあいだにはハマスのようなイスラム主義者の勢力が拡大するようになってきています。アラブ人クリスチャンにとっては、これは大きな脅威です。

アラブ人クリスチャンが直面するもう一つの問題は、欧米のクリスチャンたちが見せるイスラエル寄りの傾向です。反ユダヤ主義の一因となり、ホロコーストを招いてしまったことに対する贖罪の意識から、欧米のクリスチャンたちはユダヤ人やイスラエル国家に対して過度に同情的になる傾向があり、結果的にパレスチナ人が現在受けている苦難には目をつぶってしまうという問題。この欧米的な思考形式がアラブ人クリスチャンにも押し付けられ、それに異論を唱えればナショナリストのそしりを受ける。パレスチナの問題を直視することがキリスト教神学の課題であるとラヘブ師は主張します。

第二部ではイスラエル・パレスチナ問題にかかわる聖書解釈として、「選び」、「土地の約束」、「出エジプト」などが詳細に論じられています。


第二部のはじめの部分「アウシュヴィッツ以降の神学とパレスチナ人」が興味深かったので、要約してみました。ラヘブ師はルーテル派の人なので、「アウシュヴィッツ以降の神学」というのはドイツを中心としたものなのかも知れません。でもアメリカでもキリスト教原理主義のシオニズムが台頭していますし、その一方でプレスビテリアンがイスラエルボイコットに踏み切り、聖公会でもそれに追従する動きがでています(今のところは、やや腰が引けているように報道されていましたが)。どうやらキリスト教の内部でもパレスチナ問題をめぐってさまざまな立場があるようですし、今後はパレスチナについて正面きった議論がなされるようになっていくのかなあと興味深く感じています。

***********************************
第六章、「アウシュヴィッツ以降の神学とパレスチナ人」(要約)

西洋のクリスチャンや神学者たちのあいだには、今日のジュデイズムやイスラエルという国家についてホロコーストを通じてのみ理解しようとする動きがある。いわゆる「アウシュヴィッツ以降の神学」はホロコーストを神学的に研究しようとする。ヨーロッパに蔓延する反ユダヤ主義(アンチセミティズム)の源流の一つがキリスト教であることを発見した彼らは、そのことを白日の下に曝して根絶しようと乗り出した。だが、反ユダヤ主義の根は深く、大戦後もこの風潮に目立った変化がないことから、彼らの使命は重要性を増している。

そこで、キリスト教徒とユダヤ教徒のあいだに新たな対話が開かれた。欧米ではジュデイズムやイスラエルと新たな関係を模索するための組織がいくつもできた。この対話の試みの革新性は認めるが、次の二つの点において不十分である。

第一に、西洋世界では、多数の賛同者を獲得するに至っておらず、専門家のあいだの対話にとどまっている。イスラエルでは、喜んで対話の相手となるような人々が見つかりにくい。ほとんどの人は、そんな対話のことなど聞いたこともない。結局のところ、この対話はクリスチャンのあいだでの西洋モノローグでしかないといえよう。おまけに西洋の神学者たちは、中東のクリスチャンたちに対して、対話に参加させるどころか、相談することさえしなかった。そのような西洋式のキリスト教徒とユダヤ教徒の対話は抽象的なものにしかならず、アラブ人キリスト教徒たちは西洋的な視点を受け入れるか、ナショナリストとして切り捨てられるかのどちらかしか道がない。

第二に、この対話はパレスチナ人の運命にほとんど目を向けようとしない。ましてや、アメリカやヨーロッパやイスラエルがパレスチナ人に対して行なってきた不正に対処することなど望むべくもない。この「対話」はイスラエルという国家を完全な現実の姿でとらえようとはしないのだ。20世紀後半のパレスチナ人との関係、彼らを追放し、占領下に置いてきたというイスラエルの歴史は重要視されず、神学的思考に取り入れられることもない。

「アウシュヴィッツ以降の神学」は、いかにすれば反ユダヤ主義に陥らずにイエス・キリストについて語ることができるのかを問う。これまでのところ、その答えはイエスのユダヤ性を強調することに求められている。だが、ここから親ユダヤ的傾向や無批判のイスラエル支持が台頭してくることにもなった。その結果、この対話ではイスラエルが神話化され、その裏返しで「パレスチナ人」やPLOは悪魔のように描かれることとなった。「アウシュヴィッツ以前の神学」はたしかに反ユダヤ主義の要素を持っていたが、「アウシュヴィッツ以降の神学」は親イスラエル、反パレスチナ的な態度に陥りやすい。反ユダヤ主義に陥らずにイエス・キリストを語ることの必要性を説くのであれば、イエスのユダヤ性について語るときにも反パレスチナに陥らないようにという配慮も同時にまた必要だろう。

アウシュヴィッツとホロコーストを考えるにあたって今ひとつ重要なのは、神学と権力との関係、非力な者たちとの関係だろう。第三帝国の基本的な問題の一つは、いわゆるドイツ人キリスト教徒の神学が権力者のイデオロギーと結託したことだった。神の正義を自らの立場で解釈し、抑圧された者たち(ユダヤ人や非ユダヤ人)を救おうとするのではなく、ドイツのキリスト教神学は国家の行為を正当化し、その思想を宣伝する国家の手先になってしまった。そのために彼らは弱者の側に立ち、人権を擁護することができなかった。

そのような神学に貧しさを見た「アウシュヴィッツ以降の神学」は、本来あるべき場所に立ち戻ろうとした──力も権利も奪われた者たちの側に徹底して与することだ。第三帝国においてはユダヤ人が弱者であり、それゆえ「アウシュヴィッツ以降の神学」は彼らに対する債務について話し合い、新たな関係を犠牲者やその身内の者と結ぼうとするのだ。

だが状況は彼らがこの使命に着手した頃とはだいぶ変わっている。ユダヤ人はもはやヨーロッパには住んでおらず、パレスチナで自分たちの国を手に入れた。弱者を経験したことが、彼らを「権力の亡者」にした。かつて無力だったユダヤ人たちは、ユダヤ系アメリカ人の金と影響力を背景に、中東最強の軍隊、最新の兵器を持ち、核武装さえしたイスラエルという強国に変身した。

「アウシュヴィッツ以降の神学」は、このようなユダヤ人の権力の変化に十分な注意を払っていないと思う。彼らがユダヤ人への借りの清算にとりかかったとき、イスラエルは他所へ退避することなく領内に踏みとどまったアラブ人マイノリティを差別し、パレスチナ人を二流市民として扱うような仕組みをつくりつつあった。後には西岸とガザを軍事占領し、住民全体を無防備で無力な状態に押しやり、彼らの人権と独立を拒絶してきた。だが「アウシュヴィッツ以降の神学」は、この問題に対して何も言うことができない。


January 20, 2005

VAWW-NET ジャパン事務局 声明文


皆様
メディアその他で広く伝わっている「女性国際戦犯法廷」に対する誤解についての訂 正説明です。先の抗議文と内容はほぼ重なりますが、皆様からも「女性国際戦犯法 廷」について広めていただく時にどうぞあわせてお知らせ下さい。広くお知らせ下さいますようお願いいたします。
VAWW-NETジャパン事務局

******以下声明文 転送可*****
マスコミ、関係者各位
安倍晋三氏の事実歪曲発言について
 このたび、政治家によるNHKの番組介入が問題になっており、「政治家」として 名前が上がっている安倍晋三氏と中川昭一氏が、複数のメディアを通じてコメント、 または発言を行っています。中川氏は国内不在ということもあり、彼の発言の多くに 触れることはできませんが、安倍氏はこの間、頻繁にマスコミに登場し発言を行って います。その中で、安部氏は、女性国際戦犯法廷の事実関係について重大な事実歪 曲、誹謗・中傷を続けていますが、それに対してマスメディア側は知識不足、勉強不 足のためほとんど事実の間違いを指摘することができず、そのまま一般市民に垂れ流 されているという状況にあります。 歪曲された事実があたかも真実であるがごとく日本の市民の皆様に伝わっていくこ とは、女性国際戦犯法廷と「法廷」を主催した国際実行委員会の名誉を大きく傷つけ るものであり、何より「法廷」に正義を求めて被害8カ国から参加された64名の被害 女性の尊厳を甚大に侵害するものです。「法廷」には世界三十カ国以上から約400名 が参加し、三日間の審理にはおよそ1000人が傍聴し、最終日の判決概要に言い渡しは およそ1300人が傍聴しました。「法廷」の歪曲と侮辱は、こうした多くの人々に対し ても許されない行為です。安倍氏のこうした発言は、自らの行為を正当化するため、番組で取り上げた女性国際 戦犯法廷自体を貶めることで世論を味方につけようとしているものです。問題の論点 のすり替えが「法廷」の事実歪曲をもって行われていることは、今回の事件の真相を 明らかにする上でも大変問題であり、このことは、真実を明らかにする上で危険な流 れであるといえます。マスコミの皆様には問題の核心(番組に対する政治家の介入)を見失うことなく真実 を明らかにし、ジャーナリズムの役割を果たしていただきたく存じます。そのために は女性国際戦犯法廷の事実関係を正確に理解して頂くことは重要、不可欠なことであ ると考え、皆様に正確な事実を知っていただくため、ここに安倍発言の間違いを指摘 いたします。※以下に示す安倍氏の発言は、「報道ステーション」(1/13放送)、「ニユース23」 (1/13放送)、「サンデーモーニング」(1/16放送)、「サンデー・プロジェクト」 (1/16放送)などにおける発言、及び安倍氏が出したコメントに基づいています。
1、「被告と被告側の弁護人がいない」⇒ 女性国際戦犯法廷は、「日本国家の責任」を問うため、開催2ヶ月前に全裁判官 の名前で、当時首相であった森嘉朗氏に被告側弁護人(被告代理人)の出廷を要請し た。しかし、開催直前になっても何の応答もなかった。従って裁判官は「アミカスキ ュリエ」(法廷助言人※)という形で被告側の弁護を取り入れた。「法廷」では3名 の弁護士がアミカスキュリエとして被告側主張を行い、「慰安婦」問題についての日 本政府の立場や主張を明確に紹介し、被告が防御できない法廷の問題点を法廷のなか で指摘した。※Amicus Curiae 裁判所の求めに従い、裁判所に対し事件についての専門的情報また は意見を提出する第三者。英国の制度で、弁護人がいない場合、市民の中から弁護人 を要請できるという制度。
2、「裁判自体、とんでもない模擬裁判。模擬裁判ともいえない裁判」⇒ 女性国際戦犯法廷は「模擬裁判」ではなく権力を持たない市民の力によって実現 した国際的な民衆法廷である。法廷に出廷した被害証言者も、加害証言者も、被告人 も、判事も、すべて“実在する/した”人物であり、「法廷憲章」作成という手続き を踏んで、膨大な証拠資料と証言に基づいて当時の国際法を適用して裁いた民衆法廷 だった。「国家の法廷」のように「国家」に権威の源泉があるのではなく、大国やエ リートの道具だった国際法を市民の手に取り戻し、被害者を置き去りにしない正義の 実現を目指し、「国家の権威から無縁」であることによって得られる「普遍的正義」 を明らかにしようと、民衆法廷の開催を決意した。本法廷の意義はここにあるといえ る。「法廷」は、権力をもたない市民の力で、「慰安婦」被害者に被害をもたらした 加害者と加害事実を明確に示し、その責任を当時の国際法により明らかにした。繰り 返すが、女性国際戦犯法廷は民衆法廷であり、模擬法廷ではない。1999年に国際実行委員会を結成。ソウル会議、上海会議、マニラ会議、台北会議など でどのような「法廷」にするのか議論し、準備を進めていった。まず着手したことは 「法廷憲章」(前文と十五条の条文から成る。※1)の制定であった。「法廷」は 「法廷憲章」に基づき、立証と共に各国の被害者の証言や元日本兵の証言、専門家証 言などを行い、膨大な証拠資料や宣誓供述書を提出し、それに基づいて判決が下され た。判決は2001年12月4日、オランダのハーグで言い渡された。判決は1094パラグラフ (英文265ページ)にわたる膨大なもので、この判決は日本だけでなく世界の国際法 や人権に取り組む専門家、学者たちからもレベルの高さが評価されている。 女性国際戦犯法廷の開催については、国連人権委員会特別報告者クマラスワミ報告書 にも引用(※2)された。また、2003年に発表されたILO条約適用専門家委員 会所見は、「女性国際戦犯法廷」について、より詳細な引用と解説を行った。また、「法廷」は、国際刑事裁判所(ICC、1998年ローマで設立合意、2003年から オランダ・ハーグで始動)に先駆けて、戦争と武力紛争下の性暴力に対して果たすべ き役割を明らかにした世界史的にも意義ある試みであった。
※1「法廷憲章」は、前掲のVAWW-NET Japan編『女性国際戦犯法廷の全記録[?]』 緑風出版、27~32頁を参照。※2 2001年。「武力紛争下において国家により行われた、または容認された女性 に対する暴力報告書(1997-2000)(E/CN.4/2001/73)」
3、「主催者である松井やより」⇒ 女性国際戦犯法廷の主催は松井やよりではない。主催は国際実行委員会であっ た。国際実行委員会は日本と被害国(6カ国)、国際諮問委員会(第三国から国際法 の専門家6名が委員)で構成され、それぞれの代表者で共同代表が構成された。松井 やよりは日本の代表として共同代表の一人であった。
4、「裁判を始める時、主催者の松井やよりさんが、裁判の会場を九段会館に決めた のは悪の根源である皇居に一番近いからだと明言した」⇒ 女性国際戦犯法廷の初日、まず、国際実行委員会の共同代表3人(松井やより、 尹貞玉、インダイ・サホール)が挨拶した。「裁判を始める時」というのはこの時の 挨拶を指していると思われるが、松井はそのような発言は全く行っていない(※)。※VAWW-NET Japan編『女性国際戦犯法廷の全記録[?]』緑風出版、38~39頁を参照。ちなみに九段会館を会場にしたのは、1000名規模の人が集まれる会場と、300名規模 の宿泊ができる施設が併設していたからであり、予約を快く了承してくれる施設はこ こだけだった。 
5、「最初から結論ありきはみえみえ」⇒ 女性国際戦犯法廷は民衆法廷といっても、世界の五大陸から選ばれた世界的に信 頼の高い国際法の専門家や旧ユーゴ国際刑事法廷の裁判官ら(※1)によって、当時 の国際法を適用して、被害者・専門家・元軍人の証言や膨大な証拠資料(日本軍・日 本政府の公文書等を含む証拠文書)に基づき厳正な審理を経て、判決が出されたもの である。判決は、まず2000年12月12日に「認定の概要」が公表され、一年の休廷を経て2001年 12月にオランダ・ハーグにて「判決」が下された(※2)。主催者に対しても「認定 の概要」および「判決」は発表まで全く知らされず、「結論先にありき」という発言 は根拠なき誹謗中傷であり、「法廷」の事実に基づかない。また、旧ユーゴ国際刑事 法廷で裁判長をつとめたマクドナルド氏などの本法廷の裁判官たちの名誉を著しく傷 つけるものである。※1 <裁判官> ガブリエル・カーク・マクドナルドさん(アフリカ系米国女性/ 旧ユーゴ国際刑事法廷の前所長)、クリスチン・チンキンさん(イギリス人女性/ロ ンドン大学国際法教授)、カルメン・マリア・アルヒバイさん(アルゼンチン/アル ゼンチンの判事/2001年国連総会で、旧ユーゴ国際刑事法廷の判事に選出/現国際刑 事裁判所判事)、ウィリー・ムトゥンガさん(アフリカ人男性/ケニア人権委員会委 員長)、インド人男性の裁判官は病気のため欠席※2 <判決文全訳>に関しては、VAWW-NET Japan編『女性国際戦犯法廷の全記録[?]』緑風出版を参照。

6、「(女性国際戦犯法廷)は謀略。当時、拉致問題が問題化しているなかで、北朝 鮮を被害者の立場にすることで、この問題の鎮静化を図ろうとしていた。大きな工作 の中の一部を担っていた」⇒ そもそも拉致問題が問題化したのは2002年9月17日の日朝首脳会談以後のことで、「法廷」が開かれたのは2000年12月である。2000年12月時点で表面化していない 拉致問題の鎮静化を図るため、北朝鮮を被害者の立場にした工作活動の一環として 「法廷」を開催したなどというのは、事実無根の誹謗・中傷である。日本は朝鮮半島を植民地として支配したが、朝鮮人女性は植民地支配の一環として日 本軍の「慰安婦」にされたのである。しかし、日本は北朝鮮に対しては2000年当時い かなる意味でも謝罪・補償をしていない。そのため「法廷」の主催者である国際実行 委員会が被害国検事団への参加を呼びかけたのであり、その呼びかけに応じて北朝鮮 が参加した。その参加のし方は、他の被害国各国と同じである。
7、「検事に北朝鮮の代表者が二人なっている。工作活動していると認定されている 人たちを裁く側として登場させているというのも事実」⇒ いうまでもなく“裁く”のは「検事」ではなく裁判官。安倍氏の発言は事実と法 常識を逸脱している。念のため、女性国際戦犯法廷の検事について補足する。まず、 被害国を代表した首席検事はアフリカ系米国女性のパトリ・セラーズさん(旧ユーゴ とルワンダの国際戦犯法廷のジェンダー犯罪法律顧問)と、オーストラリアのウステ ィニア・ドルゴポルさん(国際法学者/国際法律家委員会のメバーとして、「慰安 婦」問題について調査し、勧告をまとめた)。 次に、そもそも北朝鮮検事団というのは存在しない。2000年6月の南北首脳会談 (金大中大統領=当時と金正日軍事委員会委員長)をきっかけに、北朝鮮と韓国は一 つとなって「南北コリア検事団」(韓国から5人、北朝鮮から4人、計9人で構成)が 結成された。南北コリア検事団長は韓国の検事(朴元淳)であった。安倍氏に「工作 員」と名指しされた黄虎男氏は、2000年当時「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償 対策委員会の事務局長であった。なお、「法廷」には各国から検事団が参加した。南北コリア(韓国と北朝鮮)だけで なく、ほかに中国、台湾、フィリピン、インドネシア、日本も検事団が参加した。検 事団は組まれなかったが、オランダ、東チモールからも被害者の証言が行われた。 (マレーシアはビデオ証言)
■補足番組の中の秦郁彦コメントについて・ 番組は、秦郁彦氏を「法廷に参加した歴史家」と紹介しているが、秦氏は三日間 の審理を傍聴してはいない。彼が参加したのは最終日の判決概要の言い渡しだけ。従 って、発言内容は事実誤認が見られ、秦氏の歴史認識と法廷の事実関係が混同し、誤 った事実を視聴者に伝える内容があった。・ 一事不再理を主張しているが、「慰安婦」制度については東京裁判では裁かれて いない。女性国際戦犯法廷は民衆法廷であるが、位置づけは東京裁判の継続裁判。
以上、安倍氏の発言の事実関係の誤りをいくつか取り出して指摘しましたが、更に性 格、詳細にお知りになりたい場合は、『女性国際戦犯法廷の全記録?』(※審理の記 録)『女性国際戦犯法廷全記録?』(※起訴状、判決全文掲載)などを参照してくだ さい。※この2冊は共に緑風出版から刊行されています。ちなみにこれは全6巻シリーズの一 部であり、このシリーズは出版社としては名誉ある梓賞を受賞しました。
皆様が論点をずらされることなく、事実誤認の情報にとらわれることなく、政治家の 番組介入の問題を正面から取材し、真実が明らかにされるまで、いかなる政治的圧力 に影響されることなく、屈することなく、真実と正義を追求していただきますこと を、心から願っております。
2005年1月17日「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク (VAWW-NETジャパン)