February 12, 2005

アンベール・バルサンの死

フランスのMMさんから、エリア・スレイマン監督の映画『D・I』をプロデュースしたアンベール・バルサンが自殺したというニュースを教えてもらいました。→ ここ

スレイマンの「製作ノート」にもバルサンのことは出てきてましたが、亡くなる直前にデイリースターに掲載されたインタビューを読むと、彼は中東映画のプロデュースにかけてはヨーロッパの第一人者であり、近年勢いづいてきたアラブの映画界に、長編映画を制作し、国際的な上映の道を開くという貴重な役割を果たしてきた得がたい人物だったことがわかります。そーかあ、この人がいなかったら、『D・I』があれほどメジャーなかたちで国際市場に流通することはなかったのでしょうね。パレスチナ映画がカンヌで受賞というのは快挙でしたが、じつはバルサンの「快挙」だったのかも。

思えばあの年のカンヌ映画祭って、『D・I』とならんでアモス・ギタイの『ケドマ』(イスラエル建国映画)とアトム・エゴヤンの『アララトの聖母』(アルメニア人虐殺の記憶をめぐる映画、私はエゴヤンの大ファンなのです)がノミネートされていて、バルムドールを受賞したのは『戦場のピアニスト』(またもやホロコーストもの)という、なかなかぴりぴりしておもしろい取り合わせでしたね。エゴヤンとギタイの対談というのが出ているそうですが、それはこのときにやったものなのかなあ。読んでみたいものです。

聞くところによれば、カンヌやヴェネチアの映画祭に第三世界の映画がエントリーするときには、やはり地元の企業や業界関係者にそれなりのコネがないと注目してもらうのがむずかしいらしいです。バルサンのように豊富な経験と人脈を持つ人物のプロデュースがあってこそ、スレイマンの作品もギタイやエゴヤンと同じ土俵で勝負できたのかもしれません。

ちなみに『D・I』を日本で配給しているフランス映画社も、ゴダールやアンゲロプロスのようなミニシアター系の映画を専門とする配給会社ですね。こういう人たちのネットワークがあってはじめてパレスチナ映画の商業上映が可能になったのだなあと、あらためて関心しています。

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