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November 24, 2005

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November 20, 2005

ミッチェル・プリトニック:イスラエル労働党は生まれ変わるのか?ー(1)

ペレツ労働党の誕生は画期的なできごとですが、現実にはそこから、なにが期待され、どんな限界があるのかを幅広く考察したミッチェル・プリトニックの文章です。筆者はユダヤ系アメリカ人の和平活動家であり、外国人としてパレスチナの平和を願う者の視点から、今回の事件をどうみるかということも参考になります。

Is There A New Labor Party In Israel?
by Mitchell Plitnick; Jewish Voice for Peace; November 15, 2005 ZNet


先週労働党の党首選挙でアミール・ペレツが衝撃的な勝利をおさめたことは、イスラエル政界に新しい希望の時代の幕開けであるとして一部の人たちにはおおいに歓迎された。たしかにペレツはイスラエルの主要政党にはこれまでなかったような、きわめて新しいタイプのリーダーだ。このペレツという人物がなにを表象し、どのような希望をもたらすのかを理解し、彼の勝利が意味するものの限界を、バランスの取れた視野において理解することが重要である。

労働党の党首候補として名のりをあげたペレツは成り上がり者という印象をもたれた。だが彼が選んだタイミングは最適だった。労働党のメンバーたちは、久しい以前からシモン・ペレスの詐欺的な政治手法によってやる気を失っていた。ペレスは人をふるいたたせるタイプの指導者ではないし、特定の政治目標を強力に推進することもけっしてなかった。ペレスは日和見主義者であり、イスラエルの歴代政府においてたとえどんな性格の政権であっても常にそのトップの地位を占めることが彼の最大の関心だった。2002年の選挙で、政治家としては駆け出しのアムラム・ミツナが労働党書記長の地位を勝ち取ったことは、ペレス、ベンジャミン・ベン=エリエゼル、オフィール・ピネス=パズ、エフライム・スネーら堅固に守られた労働党の指導部が大幅に支持を減らしていることを露呈させた。ペレツが今回つけこんだのはそこだ。

短期的な見通し
ペレツの勝利そのものは、きわめて好ましい成り行きと受けとめる以外にないだろう──イスラエル政界にとってのみならず、占領を終結させイスラエル人とパレスチナ人の両方に公正な和平を実現するためにもそうである。それを否定するのはばかげているが、ペレツの勝利が、近い将来になにか劇的な方向転換をもたらすだろうと期待するのも同じくらいにばかげている。

もしもペレツが公約を守って、連立政権から労働党を離脱させるようであれば(どうやらそうなりそうだが)、2006年3月にイスラエルの総選挙が前倒しされる可能性も高くなる。アリエル・シャロンのリクード党首としての地位が依然ぐらついているため、シャロンが独自に第三党を結成する可能性は否めず、そこに労働党の不満分子が流れ込むこともじゅうぶんありうる。ペレツ体制への期待から労働党にリクード票が流れる可能性は、シャロンの離脱と相まって、リクードを無力化させるかもしれない。だからといって、そのことが来年3月の選挙で労働党の勝利を確実にするわけではない。

たとえペレツがほんとうに来年首相になったとしても、彼が現状を大幅に変革するような政策を矢継ぎ早に打ち出すとは考えにくい。分離壁については、建設予定地をさらに変更することはあっても、撤廃まではいかないだろう。パレスチナ難民のイスラエル本土への帰還にイスラエルの一般世論がしめす拒絶反応を彼はじゅうぶんに承知しているし、エルサレムの分割についても彼が大胆な提案をするとは考えにくい。長年にわたるイスラエル=パレスチナ紛争に、彼が特効薬を提供するわけではない。

だがペレツが3月の選挙に勝てば、長い目で見れば好ましい影響をおよぼすだろう。じゅうぶんな時間が与えられれば、彼もエルサレムについてのイスラエルの国民感情を動かすことができるだろう。もっと直接的なところでは、彼の社会改革理念が少しでも実現化されるのであれば、その資金をひねり出すためまっさきに予算配分を削られるのは入植事業だろう。入植地は、いわゆる「前哨基地」と呼ばれるものも、もっと大規模で定着したものも、いずれも違法な手段で資金が調達されていると、タリア・サッソンは2005年3月の報告書で告発している。これを武器に、ペレツは入植者の運動を大幅に抑え込むことができるかもしれない。

党内選挙の勝利を受けて、ペレツはクネセトに西岸地区から退去したい入植者に補償を支払うという法案を提出した。小さなものとはいえ、これは始まりの一歩である。

社会主義のルーツ?
アミール・ペレツの政治思想の根底には社会主義がある。彼のレトリックには、かつて社会主義政党だった頃の労働党を理想化するところがうかがわれる。労働党についての、そんなロマンティックな見方は、誤解を招くだろう(労働党の内部やイスラエル社会一般における社会主義とナショナリズムのせめぎ合いについては、ゼエブ・シュテルンヘルの『イスラエル建国神話』にすばらしい解説が載っている)。労働党は着実におおかたの社会主義の理念から遠ざかっていった。ペレツは実際、イスラエルの労働党の理念に、たぶんこれまで一度もなかったほど社会主義を前面に打ち出している。ここ数十年のあいだの傾向に比べればその対比はいっそう鮮やかだ。

ペレツは、イスラエルにおける社会的セーフティ・ネットの構築に乗り出すだろうし、貧富の差(西欧型の国家としては最大になっている)を縮小する方策も進めるだろう。だがイスラエル経済の方向性に、彼がそのような大転換をもたらすことができるかどうかは疑問である。多方面から大きな抵抗が持ち上がると予想され、とりわけ危惧されるのはみずからのお膝元の労働党からの抵抗だ──新自由主義経済モデルを1980年代から90年代にかけて積極的に受け入れてきたのは労働党なのだ。このことについて、彼が少しでも影響を及ぼせたならば、期待はおおきく膨らむ。それは次に記すように、なにもイスラエルの大衆だけに限ったことではない。

ペレツは和平を推進するか?
ペレツはアリエル・シャロンの「一方的撤退」計画に猛烈に反対してきた。これは特筆すべきことである。なぜなら「一方的な分離」という概念は、西岸地区に分離壁を築くという着想と同じように、それが最初にでてきたのはシャロンやリクード党からではなく、エフード・バラクが党首だった頃の労働党からなのだ。自分とマフムード・アッバースとじっくり膝を交えて話し合い、アメリカや他の勢力は抜きにして、最終地位の取り決めを結びたいと、ペレツは明言している。この表明はたいへん聞こえが良いが、もちろん実現させるのはさまざまな理由から困難だろう。とはいえ明らかにペレツも、シャロンの一方的な行動のおかげでアッバースの立場が大きく損なわれたことはよく承知しており、それによって真の打開がどれほど難しくなったかもわかっている。ペレツは長いあいだ「ピース・ナウ」(和平推進団体)のメンバーだったし、彼の妻はイスラエル人とパレスチナ人の現場における対話の促進に熱心に取りくんできた。パレスチナ人との紛争についての彼のアプローチは、アリエル・シャロンやベンジャミン・ネタニヤフと異なるばかりでなく、シモン・ペレスやエフード・バラク、イツハク・ラビンなどとも完全に異なっている。BBCは「占領は、なによりもまず不道徳なことだと思う」というペレツの発言を引用している。

2002年のアムラン・ミツナとは異なり、選挙戦が続いていくうちに徐々に和平推進提案をトーンダウンさせるようなことをペレツはしなかった。だがその理由のひとつは、和平問題はペレスにとって国内の社会経済改革に比べて優先順位がかなり低かったことにある。またペレツは国際関係の分野での経験はほとんどゼロに等しく、平和活動家としての彼の経験も、おおむね高度な政治の領域からは外れたところのものだった。それでもなお、彼の国内向け政策課題でさえも、占領政策に顕著な影響をおよぼす可能性があることに注目しよう。イスラエルの経済は国民の大半にとって悪化しており、パレスチナ人への対処に、より厳しく断固とした手段をとることを支持する者が増えている。経済不安を抱える社会は、えてしてナショナリズムの傾向を強めるものである。イスラエル経済がより平等なものになれば、真の変化が起こりパレスチナ人と本気で妥協しようという機運も整ってこようというものだ。

だが現時点であまりに多くを期待するのは賢明ではない。たとえペレツが首相になったとしても(ありえないわけではないが、前倒し選挙がそういう結果になる公算は大きくない)、国内問題への取り組みが彼の最優先目標となるだろう。また彼の抱える大きな課題として、外国の高官との接触がなく経験に乏しいことや、彼とそりの合わないアメリカ政府が少なくとも2008年まではつづくことが挙げられる。

アミール・ペレツ当選の意義ーウリ・アヴネリのインタヴュー

"Uri Avnery to Aljazeera.net: Amir Peretz Win Profound for Israeli Politics"
13/11/2005

アミール・ペレツの党首就任により、労働党ははやばやとシャロン政権との連立解消に動き、2006年11月に予定されていたイスラエル総選挙も前倒しされることになりました。ウリ・アヴネリはさっそくアルジャジーラのインタヴューを受け、その意義について語っています。ちょうどライブドアの海外ニュースのサイトにその翻訳が載っているのを見つけました。「イスラエル政界に「激動」の予感  注目されるペレツ新労働党党首の動向」

ただ、なにを間違えたのか、ウリ・アヴネリではなくてインタヴュアーの記者の名前がインタヴューされた人として出ています。でも、それ以外は立派な訳ですのでご安心ください

November 19, 2005

ウリ・アヴネリ:ペレツはペレスとは違う

11月9日に行なわれたイスラエル労働党の党首選では、ヒスタドルート(労働総同盟)委員長のアミール・ペレツが、現党首で副首相のシモン・ペレスを破って当選するという画期的な事件が起こりました。この背景には労働党をシャロン政権との連立に導き、同党の沈滞をもたらした大物政治家シモン・ペレスに対する鬱憤、引いては従来のイスラエルの政党政治を牛耳ってきた古い体質の完全な行き詰まりへの鬱憤があるようです。ついにイスラエルの中からも変革への動きがでてきたのだろうかと期待はたかまりますが、とりあえず無名に近かったアミール・ペレツのどこがそんなに画期的なのかについて考えてみたいと思います。
下の記事は、党首選直前の7日にウリ・アヴネリが書いたもので、ペレツが登場する背景になったイスラエル労働党のひどい退潮ぶり、リクード政権に擦り寄って野党の役割を放棄してしまったことで議会制民主主義が危機的状況に陥っている現状について(いずこも同じという感じですが)よくわかる文章です。


Uri Avnery: Peretz Is Not Peres
Monday, 7 November 2005, 2:44 pm
Opinion: Uri Avnery

ヘブライ語版はグッシュ・シャロムのサイトにあります→ www.gush-shalom.org

「そこで主は、こう言われる。労働党の三つの罪、四つの罪のゆえに、わたしは決してそれを許さず罰を与える・・」預言者アモスがもし現代に生きていたら、彼の預言書の一章はたぶんこの書き出しで始まっただろう。

だが1967年の六日戦争以来、労働党がおかしてきた罪は三つや四つにとどまるものではない。それらをあげ連ねるとすれば、このテクア出身の預言者の書物〔アモス書〕の数章を割かねばならないだろう。次に上げるのは、ほんの一部のリストだ:


- 1967年の戦争の直後、労働党のレヴィ・エシュコル首相は、パレスチナ人に国家建設の機会を提供し、それをもとに長期にわたる和平を築き上げるという千歳一遇のチャンス(当時わたしが彼に対して、私的な会話の中で、また後には公開書状の中で提案したような)を見逃してしまった。領土のほうが平和よりも彼には重要だったのだ。

- 1974年にはシモン・ペレスが西岸地区のど真ん中にはじめての入植地を建設した。それ以来、このケドミームという入植地は今日にいたるまで近隣のパレスチナ人を恐怖に陥れている。

- 70年代はじめには、労働党のゴルダ・メイヤ首相がエジプト首相アンワール・アッ=サーダートの和平提案を黙殺した。その代償は、2000人のイスラエル人の若者と、数千人のエジプト人の命によって支払われた。「パレスチナ人などというものは存在しない」と言い放ったのは、彼女である。

- 1982年、シモン・ペレスもイツハク・ラビンも、メナヘム・ベギンとアリエル・シャロンがレバノンに侵略攻撃を行なうことに支持を与えた。その一年後、彼らは「安全地帯」を設けるという愚かしい計画を支持し、その後27年間もこれを引きずることになった。それに並行してパレスチナの占領地における占領政策は厳しさを増し、入植地の数も増加した。このことが第一次インティファーダの勃発を招くことになった。

- ラビンとペレスはPLOを交渉相手として承認し1993年にオスロ合意を結ぶことによって、ようやくのことでインティファーダを終結させたが、彼らはその後すぐにこの合意を反故にして、約束したはずのガザ回廊と西岸地区をつなぐ「安全な通路」を開こうとはとはせず、イスラエル軍の大規模な撤退となる第三次撤退を実行しなかった。入植地の建設は継続された。

- ラビン暗殺後の選挙で当選を確実にするため、ペレスは1996年にレバノンで小規模な戦争を始め、カナで数十人のパレスチナ難民が虐殺を引き起こすことになった。彼はまた、「エンジニア」と呼ばれた〔ハマス軍事部門の爆弾専門家〕ヤヒヤ・アヤシュの殺害を容認した。当然予測できたように、この措置は一連の自爆攻撃を誘発することになり、結果的にペレスは選挙で敗北した。

- ヤーセル・アラファートが2000年のキャンプ・デーヴィッド首脳会談で労働党のバラク首相の最終提案の受け入れを拒むと、バラクは、パレスチナ人はイスラエルを滅ぼすことを望んでおり、「交渉すべき相手が一人もいない」と宣言した。これによって和平陣営が崩壊し、総崩れになった労働党に代わってシャロンが権力の座につくことになった。

- この間ずっと、労働党が進めてきた経済政策はイスラエル国内の貧富の差を増大させ、労働組合連合の労働総同盟ヒスタドルート(労働総同盟)をほぼ壊滅させ、いつ爆発してもおかしくない社会的不満の時限爆弾をつくりだしてしまった。

この路線を代表する主要人物がシモン・ペレスだった。この人物の気質が何十年にもわたって労働党にまとわりついていたのだ。今週(11月9日に)行なわれる党首選で、彼は労働党議長への再選を望んでいる。これを阻止できる唯一の候補はヒスタドルート(労働総同盟)を率いるアミール・ペレツだ。

ペレツの長所のひとつは、彼の名前の最後の文字だ──ペレツはペレスとは違う。

それはともかく、労働党は沈滞している。これはかなり控えめな言い方だ。はっきり言えば、腐敗による分解が進行して、かなりの末期症状を呈しているのだ。

だからといってそのことが、わたしのような人間になんの関係があるというのか?わたしは労働党の党員であったことはないし、これからだってありえないのだから。だが、関係はおおいにあるのだ。労働党とリクード党という二大政党は、わたしたちの議会政治と政党政治のシステムの大黒柱であり、イスラエルの民主主義の根幹を形成している。そのうち一つが、それに代わるものもないままに分裂してしまうことは(二つともは言うまでもなく)民主主義国家としてのわたしたちの存在の根幹を危うくするからだ。そのことを考えると、ドイツにおいてワイマール共和国が崩壊したときのおぞましい記憶がよみがえる。

この5年間ちかくのあいだ、労働党はシモン・ペレスの虜になっていた。彼の指導のもとで、同党は国家や社会についての独自の世界観の名残さえも失ってしまった。シャロンが権力の座につくと、ペレスは彼のために全世界に向けた情報操作のコンサルタントを提供し、そのスポークスマンになってしまった。それ以前には、世界はシャロンといえば1953年のキビヤの虐殺事件、1982年のレバノン侵略とサブラー、シャティーラ両難民キャンプの虐殺事件を思い浮かべていた。そのシャロンが立派な政治家として世界中に受け入れられるようになったのは、ノーベル平和賞を受賞したシモン・ペレスのおかげだった。

選挙のため下野するという漫画じみた幕間狂言を演じた後、ペレスは自分の党をふたたびシャロン政府との連立に引きずり込み、シャロンの「一方的撤退」政策の中心的な支持勢力に仕立て上げた。ペレスはどんな条件もつけなかった。撤退はパレスチナ人との合意のもとに行なわれなければならないとも、撤退は西岸地区全体からの撤退の交渉につながるべきであるとも。

それがどんな結果を生んだかは、今では明白だ。ガザ回廊は巨大な監獄と化し、占領は別の手段を通じて(西岸地区や世界全体からの切り離し)いまも継続している。生活条件はこれまで以上に悪化した(そんなことが可能とは誰も思わなかった)。結局のところ、流血沙汰はつづいており、たぶんこれまで以上にひどいものになるだろう。

わたしたちは日々目の当たりにしているのは、シャロンが自分の計画を実行に移すことを、労働党がどれほど容易にしているかだ。シャロンの意図は、西岸地区の58%をイスラエルに併合し、残った領土はばらばらの飛び地に分断し、分離壁を建設することだ。そもそも分離壁という考えは労働党が考案したものであり、実際には西岸地区を大きくえぐり取ってイスラエルに併合する役割を果たしている。道路の遮断、恐ろしい勢いで拡大する入植地。「前哨」と呼ばれる入植地の撤廃も、議論にさえのぼらない。暗殺と逮捕はパレスチナ人が停戦を宣言した後でさえも継続し、シャロンは停戦を拒絶した。和平交渉は存在せず、国防大臣は和平の実現は「次の世代」を待たねばならないとと断言する。政治的な進捗はいっさいなく、マフムード・アッバースの立場を脅かしている。「交渉する相手がいない」という望ましい状態を再び作り出すためだ。

社会的には、政府は労働党の支持をうけて、所得格差を拡大し、貧困を増大させる政策をとっている。このサッチャリズム採用に関していえば、シャロンとネタニヤフとペレスのあいだに本質的な違いはなにもない──空疎なスローガンを除けば。

このような状況では、労働党そのものが頽廃していくのも無理はない。人々はペレスにうんざりしているだけでなく、彼を取り巻く多数の政治家たちにも愛想を尽かしている──じっさい民主主義の制度全体に対してもうんざりしているのだ。党の内部には活気がなく、議論がなく、なんの活動もない。

イスラエルの民主主義には対立する政党が必要だ。オルタナティヴな世界観とそれに一致した政策を掲げる野党が必要なのだ。労働党にはその役割を果たすことができない。ペレスとその仲間たちが抑えつけている限りは。それゆえ、党を刷新するためにはペレスを指導部から外すことが不可欠なのだ。現状では、それを達成できるのはアミール・ペレツだけだ。

わたしはペレツと近しいわけではないので、彼がこの党を率い、この国を率いる器であるかどうかを判断することはできない。だが彼には他の党首たちにはない多くの政治的な長所がある。彼には明確な社会的課題があり、パレスチナ人との和平を一貫して支持してきた。彼は東方系ユダヤ人大衆を真に代表する人物であるが、「エスニック」な利害を代表する政治家ではない。彼は積極的行動主義を広め、大衆と直に接触し、ヒスタドルートの指導者としての能力があることを示してきた。ここで一政党の党首として、一国の指導者として通用するかどうかを試す機会を与えられてしかるべきである。わたしは彼が成功することに期待したい。

だがたとえ彼が労働党の指導者として期待にそえないような結果になったとしても、今週の党予備選挙で彼が勝利を収めたのは、とてもありがたいことだ。たとえ過渡的なものとどまったとしても、ペレツ体制の下で信望のない古い政治家たちは一掃され、新たな若い勢力に活躍の場が与えられ、労働党がふたたび闘う野党としての能力を取り戻すための道が開けてくるるだろう。

ちなみに、ヘブライ語では、ペレツは「新しい地平を開く」"breakthrough"ことを意味している。




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