November 19, 2005

ウリ・アヴネリ:ペレツはペレスとは違う

11月9日に行なわれたイスラエル労働党の党首選では、ヒスタドルート(労働総同盟)委員長のアミール・ペレツが、現党首で副首相のシモン・ペレスを破って当選するという画期的な事件が起こりました。この背景には労働党をシャロン政権との連立に導き、同党の沈滞をもたらした大物政治家シモン・ペレスに対する鬱憤、引いては従来のイスラエルの政党政治を牛耳ってきた古い体質の完全な行き詰まりへの鬱憤があるようです。ついにイスラエルの中からも変革への動きがでてきたのだろうかと期待はたかまりますが、とりあえず無名に近かったアミール・ペレツのどこがそんなに画期的なのかについて考えてみたいと思います。
下の記事は、党首選直前の7日にウリ・アヴネリが書いたもので、ペレツが登場する背景になったイスラエル労働党のひどい退潮ぶり、リクード政権に擦り寄って野党の役割を放棄してしまったことで議会制民主主義が危機的状況に陥っている現状について(いずこも同じという感じですが)よくわかる文章です。


Uri Avnery: Peretz Is Not Peres
Monday, 7 November 2005, 2:44 pm
Opinion: Uri Avnery

ヘブライ語版はグッシュ・シャロムのサイトにあります→ www.gush-shalom.org

「そこで主は、こう言われる。労働党の三つの罪、四つの罪のゆえに、わたしは決してそれを許さず罰を与える・・」預言者アモスがもし現代に生きていたら、彼の預言書の一章はたぶんこの書き出しで始まっただろう。

だが1967年の六日戦争以来、労働党がおかしてきた罪は三つや四つにとどまるものではない。それらをあげ連ねるとすれば、このテクア出身の預言者の書物〔アモス書〕の数章を割かねばならないだろう。次に上げるのは、ほんの一部のリストだ:


- 1967年の戦争の直後、労働党のレヴィ・エシュコル首相は、パレスチナ人に国家建設の機会を提供し、それをもとに長期にわたる和平を築き上げるという千歳一遇のチャンス(当時わたしが彼に対して、私的な会話の中で、また後には公開書状の中で提案したような)を見逃してしまった。領土のほうが平和よりも彼には重要だったのだ。

- 1974年にはシモン・ペレスが西岸地区のど真ん中にはじめての入植地を建設した。それ以来、このケドミームという入植地は今日にいたるまで近隣のパレスチナ人を恐怖に陥れている。

- 70年代はじめには、労働党のゴルダ・メイヤ首相がエジプト首相アンワール・アッ=サーダートの和平提案を黙殺した。その代償は、2000人のイスラエル人の若者と、数千人のエジプト人の命によって支払われた。「パレスチナ人などというものは存在しない」と言い放ったのは、彼女である。

- 1982年、シモン・ペレスもイツハク・ラビンも、メナヘム・ベギンとアリエル・シャロンがレバノンに侵略攻撃を行なうことに支持を与えた。その一年後、彼らは「安全地帯」を設けるという愚かしい計画を支持し、その後27年間もこれを引きずることになった。それに並行してパレスチナの占領地における占領政策は厳しさを増し、入植地の数も増加した。このことが第一次インティファーダの勃発を招くことになった。

- ラビンとペレスはPLOを交渉相手として承認し1993年にオスロ合意を結ぶことによって、ようやくのことでインティファーダを終結させたが、彼らはその後すぐにこの合意を反故にして、約束したはずのガザ回廊と西岸地区をつなぐ「安全な通路」を開こうとはとはせず、イスラエル軍の大規模な撤退となる第三次撤退を実行しなかった。入植地の建設は継続された。

- ラビン暗殺後の選挙で当選を確実にするため、ペレスは1996年にレバノンで小規模な戦争を始め、カナで数十人のパレスチナ難民が虐殺を引き起こすことになった。彼はまた、「エンジニア」と呼ばれた〔ハマス軍事部門の爆弾専門家〕ヤヒヤ・アヤシュの殺害を容認した。当然予測できたように、この措置は一連の自爆攻撃を誘発することになり、結果的にペレスは選挙で敗北した。

- ヤーセル・アラファートが2000年のキャンプ・デーヴィッド首脳会談で労働党のバラク首相の最終提案の受け入れを拒むと、バラクは、パレスチナ人はイスラエルを滅ぼすことを望んでおり、「交渉すべき相手が一人もいない」と宣言した。これによって和平陣営が崩壊し、総崩れになった労働党に代わってシャロンが権力の座につくことになった。

- この間ずっと、労働党が進めてきた経済政策はイスラエル国内の貧富の差を増大させ、労働組合連合の労働総同盟ヒスタドルート(労働総同盟)をほぼ壊滅させ、いつ爆発してもおかしくない社会的不満の時限爆弾をつくりだしてしまった。

この路線を代表する主要人物がシモン・ペレスだった。この人物の気質が何十年にもわたって労働党にまとわりついていたのだ。今週(11月9日に)行なわれる党首選で、彼は労働党議長への再選を望んでいる。これを阻止できる唯一の候補はヒスタドルート(労働総同盟)を率いるアミール・ペレツだ。

ペレツの長所のひとつは、彼の名前の最後の文字だ──ペレツはペレスとは違う。

それはともかく、労働党は沈滞している。これはかなり控えめな言い方だ。はっきり言えば、腐敗による分解が進行して、かなりの末期症状を呈しているのだ。

だからといってそのことが、わたしのような人間になんの関係があるというのか?わたしは労働党の党員であったことはないし、これからだってありえないのだから。だが、関係はおおいにあるのだ。労働党とリクード党という二大政党は、わたしたちの議会政治と政党政治のシステムの大黒柱であり、イスラエルの民主主義の根幹を形成している。そのうち一つが、それに代わるものもないままに分裂してしまうことは(二つともは言うまでもなく)民主主義国家としてのわたしたちの存在の根幹を危うくするからだ。そのことを考えると、ドイツにおいてワイマール共和国が崩壊したときのおぞましい記憶がよみがえる。

この5年間ちかくのあいだ、労働党はシモン・ペレスの虜になっていた。彼の指導のもとで、同党は国家や社会についての独自の世界観の名残さえも失ってしまった。シャロンが権力の座につくと、ペレスは彼のために全世界に向けた情報操作のコンサルタントを提供し、そのスポークスマンになってしまった。それ以前には、世界はシャロンといえば1953年のキビヤの虐殺事件、1982年のレバノン侵略とサブラー、シャティーラ両難民キャンプの虐殺事件を思い浮かべていた。そのシャロンが立派な政治家として世界中に受け入れられるようになったのは、ノーベル平和賞を受賞したシモン・ペレスのおかげだった。

選挙のため下野するという漫画じみた幕間狂言を演じた後、ペレスは自分の党をふたたびシャロン政府との連立に引きずり込み、シャロンの「一方的撤退」政策の中心的な支持勢力に仕立て上げた。ペレスはどんな条件もつけなかった。撤退はパレスチナ人との合意のもとに行なわれなければならないとも、撤退は西岸地区全体からの撤退の交渉につながるべきであるとも。

それがどんな結果を生んだかは、今では明白だ。ガザ回廊は巨大な監獄と化し、占領は別の手段を通じて(西岸地区や世界全体からの切り離し)いまも継続している。生活条件はこれまで以上に悪化した(そんなことが可能とは誰も思わなかった)。結局のところ、流血沙汰はつづいており、たぶんこれまで以上にひどいものになるだろう。

わたしたちは日々目の当たりにしているのは、シャロンが自分の計画を実行に移すことを、労働党がどれほど容易にしているかだ。シャロンの意図は、西岸地区の58%をイスラエルに併合し、残った領土はばらばらの飛び地に分断し、分離壁を建設することだ。そもそも分離壁という考えは労働党が考案したものであり、実際には西岸地区を大きくえぐり取ってイスラエルに併合する役割を果たしている。道路の遮断、恐ろしい勢いで拡大する入植地。「前哨」と呼ばれる入植地の撤廃も、議論にさえのぼらない。暗殺と逮捕はパレスチナ人が停戦を宣言した後でさえも継続し、シャロンは停戦を拒絶した。和平交渉は存在せず、国防大臣は和平の実現は「次の世代」を待たねばならないとと断言する。政治的な進捗はいっさいなく、マフムード・アッバースの立場を脅かしている。「交渉する相手がいない」という望ましい状態を再び作り出すためだ。

社会的には、政府は労働党の支持をうけて、所得格差を拡大し、貧困を増大させる政策をとっている。このサッチャリズム採用に関していえば、シャロンとネタニヤフとペレスのあいだに本質的な違いはなにもない──空疎なスローガンを除けば。

このような状況では、労働党そのものが頽廃していくのも無理はない。人々はペレスにうんざりしているだけでなく、彼を取り巻く多数の政治家たちにも愛想を尽かしている──じっさい民主主義の制度全体に対してもうんざりしているのだ。党の内部には活気がなく、議論がなく、なんの活動もない。

イスラエルの民主主義には対立する政党が必要だ。オルタナティヴな世界観とそれに一致した政策を掲げる野党が必要なのだ。労働党にはその役割を果たすことができない。ペレスとその仲間たちが抑えつけている限りは。それゆえ、党を刷新するためにはペレスを指導部から外すことが不可欠なのだ。現状では、それを達成できるのはアミール・ペレツだけだ。

わたしはペレツと近しいわけではないので、彼がこの党を率い、この国を率いる器であるかどうかを判断することはできない。だが彼には他の党首たちにはない多くの政治的な長所がある。彼には明確な社会的課題があり、パレスチナ人との和平を一貫して支持してきた。彼は東方系ユダヤ人大衆を真に代表する人物であるが、「エスニック」な利害を代表する政治家ではない。彼は積極的行動主義を広め、大衆と直に接触し、ヒスタドルートの指導者としての能力があることを示してきた。ここで一政党の党首として、一国の指導者として通用するかどうかを試す機会を与えられてしかるべきである。わたしは彼が成功することに期待したい。

だがたとえ彼が労働党の指導者として期待にそえないような結果になったとしても、今週の党予備選挙で彼が勝利を収めたのは、とてもありがたいことだ。たとえ過渡的なものとどまったとしても、ペレツ体制の下で信望のない古い政治家たちは一掃され、新たな若い勢力に活躍の場が与えられ、労働党がふたたび闘う野党としての能力を取り戻すための道が開けてくるるだろう。

ちなみに、ヘブライ語では、ペレツは「新しい地平を開く」"breakthrough"ことを意味している。




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